東京高等裁判所 昭和30年(う)2756号 判決 1956年3月06日
控訴人 被告人 山崎文雄
弁護人 横地秋二
検察官 玉沢光三郎
主文
本件控訴を棄却する。
当審訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
論旨第一点
本件記録によれば、原審が本件各公訴事実について簡易公判手続によつて審理判決していることは所論のとおりである。
よつて右手続に所論のような違法が存するか否かにつき按ずるに、原審第一回公判調書の記載によれば、本件起訴状の朗読が行われた直後の被告人の被告事件についての陳述は「事実は皆間違いありませんので有罪と思います」というに在り、これは刑事訴訟法第二九一条の二に所謂起訴状に記載された訴因について有罪である旨を陳述したことに該当する。
しからば原審が、検察官、被告人及び弁護人の意見をきき簡易公判手続によつて審判する旨の決定をしたのは相当であるといわなければならない。
ところが、同公判調書中、被告人の被告事件についての陳述のあつた後証拠調も終り弁護人が被告人に対し質問するや起訴状記載の第一訴因に関する被害者である栗原よしから本件指環を入質しても流さなければよいというように云われたことがあるので、これを入質したことは別に悪いことをしたとは思わぬ旨陳述していることは所論のとおりであり、これは先に為した右訴因につき有罪である旨の陳述とは矛盾するものであつて、所論のように自己の刑事責任を否定するものであることは明白である。
しかし乍ら右供述はそれ迄に証拠として取り調べられた被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書及び栗原よしの司法巡査並びに検察官に対する供述調書に対照すれば容易に信用することのできないものであることは明白である。
しからば、被告人の右供述があつたからというて本件起訴状第一訴因について刑事訴訟法第二九一条の三に所謂簡易公判手続によつて審判する旨の決定があつた事件が簡易公判手続によることができないものであり、又はこれによることが相当でないものであると認めるときというのには未だ該当しないものというべきであり、原審が右訴因についても簡易公判手続によつて審判する旨の決定を取消さず最後迄これによつて為したことは格別訴訟手続が法令に違背するものとは認められない。原審訴訟手続には所論のような法令違背は存在せず、論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 久礼田益喜 判事 武田軍治 判事 石井文治)
弁護人横地秋二の控訴趣意
第一点原審の訴訟手続は法令違背がありその違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破毀されるべきである。
原審は本件各公訴事実について簡易公判手続による旨を決定してこれにより審判しているが、刑事訴訟法第二百九十一条の二の規定によれば簡易公判手続によつて審判できるのは、被告人が起訴状に記載された訴因について有罪である旨を陳述したときに限るとしている。ここに「有罪である旨」の陳述とは被告人の行為が犯罪の構成要件に該当し違法且つ有責であることを認める陳述を意味するものであることは疑問の余地がない、ところが原審公判調書の記載によれば被告人は起訴状記載の各訴因について単純に「有罪だと思います」と陳述しているが(記録第八丁)その後における被告人の陳述によれば、起訴状記載の訴因第一については被害者である栗原よしが本件金指輪を「売つたり失くしたりしなければよい」(記録第十六丁、十七丁)と言つていたので、入質しても流さなければよいものと思つていた(記録第十八丁参照)と述べている。これによれば被告人は訴因第一については、自己の刑事責任を否定していることは明らかである。原審が若し被告人の冒頭における「有罪だと思います」との陳述をもつて直ちに自己の刑事責任を全面的に肯定する趣旨と解したとすれば余りにも軽卒であつたと言わねばならない。法律上のむづかしい理論を知らない被告人としては外形的な事実に間違いがなければ直ちに有罪であると思い込み勝である。規則第百九十七条の二が「裁判長は被告人に対し簡易公判手続の趣旨を説明し被告人の陳述がその自由な意思に基くかどうか及び法第二百九十一条の二に定める有罪の陳述にあたるかどうかを確めなければならない。」と規定しているのは、かかる事情を考慮して刑事裁判における、被告人の憲法上及び訴訟法上の権利の擁護に遺憾なきを期せしめる趣旨に基くものである。然るに原審は被告人が自己の刑事責任を全面的に肯定するものと速断して訴因第一につき簡易公判手続により審理して有罪の判決をなしたことは正しく訴訟手続の法令の違背したものであり、而もこの違背は結局に於て判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れないものと信ずる。
(その他の控訴趣意は省略する。)